読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

不死身の漢!

このサイトは私ことジョンが映画、アニメ、ゲームの批評、解説をするサイトです。

映画評論家、町山智浩という「作家」特集その②評論編 

町山智浩

町山智浩の映画評論を徹底解説!

2016年7月17日 追記:多くの文章が「町山」と呼び捨てになっていたため修正を加えました。本来は「氏」をつけなくてはならないところを申し訳ありません。

町山氏と不快に感じられた方に対してお詫びします。

 

前回⇩

前回は町山智浩さんの半生についてお話ししました。ですので今回は町山さんが具体的にどんな映画評論を行っているのかを解説していきたいと思います。

ところで町山さんと言えば膨大な量のポットキャストが有名です。現在やっている「映画無駄話」は有料になっていますが、以前やっていた「モンドUSA」「アメリカ映画特電」は完全に無料でした。よく無料でこんなに濃い内容を話せるものだなーと感心したものです。(ちなみに「アメリカ映画特電」は現在も無料で聴けます)

ところで僕は『ユニバーサルソルジャー殺戮の黙示録』を何回かリクエストしましたが全く反応がありませんでした。

やはり「ヴァンダム映画を一時間評論してくれ」というのは無理があったか・・・・。

 

 

町山智浩さんの映画評論はとにかくわかりやすいことが最大の売りですが、わかりやすい理由はとにかくそのしゃべりの上手さにあります。町山さん自身は淀川長春さんの喋りに影響を受けたと語っています。確かに聞いてみると淀川さんのしゃべり方にすごく似ているところがあるのがわかります。「今日は本当に不思議な不思議な映画を紹介します」「本当に怖い怖い映画を紹介します」といったフレーズを何回か繰り返す感じはすごく似ています。

しかし町山さんの評論なぜここまで人気になったのでしょうか? 他の評論家とどう違うのでしょう?
今回は町山さんの映画評論の特徴をキーワード別にまとめてみました。

 

 町山智浩を読み解くキーワード。

   ①読み解き

町山智浩の評論スタイルは映画の裏側にあるものを読み解いて解説することです。
具体的にはまず表面的な映画のストーリーを解説し、次に出ている俳優の紹介、監督の過去作品、作られた時代背景を順番に説明していくやり方です。
このスタイルは淀川長春に影響を受けたと町山は語っており、特に70年代TBSラジオで放送していた淀川長治の「私の映画の部屋」という1時間の番組は、町山智浩の映画評論ポットャストの元祖と言えます。
特にルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』の主人公(アラン・ドロン)が実はゲイであるという評論は有名で、映画の内容を細かく読み解きながらの解説に町山智浩は大きな感銘を受け、彼の評論の姿勢に影響を与えました。

町山さんが映画に出ている俳優や監督の過去の作品をニタニタしながら嬉しそうに説明する姿は、喋り方といい淀川さんと良く似ています。
f:id:nightstalker0318:20150806183020j:plainf:id:nightstalker0318:20150806183001j:plain

ニヤニヤしながら映画の解説をする変態、じゃなかった、映画評論家二人。

 

 

②蓮見重彦
蓮見重彦は日本の映画評論界の巨人として知られる人物です。
映画に関する数多くの著作を書き、「表層批評宣言」など固い映画批評家と見られがちですが、同時に「エロ将軍と二一人の妾」といった鈴木則文監督のお下劣映画や、ブルース・リーや松田優作などの「男の子映画」を高く評価するなど柔軟な姿勢も持っている人です。
「松田優作とブルース・リーを評価してくれる人」という理由で、町山さんも蓮見さんの批評を読み、大きな影響を受けます。
しかし町山は彼と(師弟関係でも何でもないですが)袂を分かちます。

ブライアン・デ・パルマに対して元々厳しい態度を取っていた蓮見は、同監督の『スカーフェイス』を元の映画である1932年の『暗黒街の顔役』に対する侮辱的リメイクだとしてこき下ろしますが、町山は『スカーフェイス』もデ・パルマ映画も大好きでした。
これ以来、町山氏は蓮見重彦を映画評論家として評価しながらも、その評論の内容を度々批判しています。
特に1979年の著作『表層批評宣言』に対する町山氏の批判は、町山智浩の評論スタイルを語る上で非常に重要です。
蓮見重彦が提唱した「表層批評」はそれまで重要とされた映画のテーマや、ストーリーばかりを評価する映画評論を批判し、映画の表面的なカメラワークなど、視覚的な部分を重要なものとして語っていこうとするものでした。これに対して町山は「作り手の意図や、映画のストーリーに隠された社会背景などを誰も論じなくなり、日本の評論界はただの感想になってしまった」と批判します。
町山氏はこの蓮見の表層批評に対抗する形で、映画の表面的な面白さ(カメラワークや俳優の演技やCGの上手い下手)よりも、その映画の作り手が作った他の作品や、作り手の人生、その映画の作られた社会背景などを詳しく解説するスタイルを作り上げていったのです。

わかりやすく、時に笑いを交えながら面白おかしく解説するのも、難しい文章が目立った蓮見重彦やその近くの評論家たち(具体的には「リュミエール」などの映画雑誌)に対する反抗なのです。

表層批評宣言 (ちくま文庫)
蓮見重彦 著『表層批評宣言』。日本の映画批評に大きな影響を与えた一冊だが文章が難しすぎるので読むときは注意が必要。

 

 

③プロレス
町山智浩氏は大のプロレスファンであることを公言しています。子供の頃は映画と共にプロレス中継も食い入るように見てたそうです。

かつて宝島社内で社長に椅子を振り上げた話を前回しましたが、それはイス攻撃を多用し、「イス大王」の異名をとったプロレスラー、栗栖正伸に影響を受けてのことでした。

プロレスの醍醐味はヒーロー役とヒール役に分かれて徹底的に戦うことです。
基本ヤラセですが「戦いをダイナミックに演出する」という考えは、町山の中に刷り込まれており、彼が起こしたさまざまな騒動、主にネット上で有名人を攻撃するということも、町山智浩からすれば「あれはプロレスだよ!」とのことなのです。

町山智浩が起こした騒動の中に「ハートロッカー論争」があります。これは2008年にアカデミー作品賞を受賞した映画『ハートロッカー』の評価を巡り、ライムスターの宇多丸との間で論争になったものです。町山と宇多丸はラジオ番組で公開で議論をしますが、町山の怒りは収まらず、その後トークイベントなどで引き続き宇多丸を非難しました。
しかしその怒りの理由をインタビュアーの吉田豪が聞いたところ、

「あいつ俺が卍固めしようとしてるのに体支えようとしないんだよ!」

 

④怪獣
町山智浩を語る時に外せないのがやはり怪獣です。
町山は怪獣マニアとしても知られており、子供の頃から自分の考えたオリジナル怪獣を絵に描き、宝島の編集者時代には怪獣本を何冊も出しました。
町山を怪獣好きにしたのは東宝の怪獣映画『ゴジラ』(特に11作目『ゴジラ対ヘドラ』)です。町山はゴジラの中に隠された意味を読み解き、それを本にしてきました。
彼によれば怪獣とは「大自然の怒り」であり、「戦争の象徴」であり、様々なものの象徴なのです。そしてもう一つ、それが「少年の怒り」です。
町山は1993年に現在も親交がある作家、切通理作が執筆した『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』に編集者として関わっています。
『怪獣使いと少年』という題名は『帰ってきたウルトラマン』の1エピソードのタイトルから取ったものですが、このエピソードは現在も多くの怪獣マニア達に伝説として語り継がれています。
川崎の工業団地を舞台に「宇宙人」として差別を受ける少年と怪獣使いの老人を描いたこの悲劇的な物語は、町山智浩にも大きな衝撃を与えました。怪獣には「虐げられた者たちの激しい怒り」という意味があることをこの作品は語っていたのです。

町山智浩は子供の頃から工業地区の近くで育ち、そこにあるガスタンクを「爆破してやりたい」と考えていたと言います。高級そうなビルを見ても、高そうな車を見ても破壊してやりたい気持ちが心に浮かんだそうです。
映画を見る時いけないとわかっていても怪獣に街が破壊されたり、大勢が死んでいくシーンを見ると興奮すると町山氏は言います。
在日の父を持ち、自身も日本で差別され恵まれない少年時代を過ごした町山智浩はこの窮屈な世界そのものを憎んでいたのかもしれません。

映画評論の中で彼はこう言っています。

「差別され、虐げられた人たちは世界そのものを憎むようになる」


少年にとって「世界の破壊者」は悪役でありながら、自分の欲望を現実にしてくれるヒーローでもあるのです。

 

怪獣使いと少年ウルトラマンの作家たち 増補新装版

怪獣使いと少年ウルトラマンの作家たち 増補新装版

 

 f:id:nightstalker0318:20150806184752j:plainf:id:nightstalker0318:20150806184736j:plain
ウルトラマン史上の中で『故郷は地球』に匹敵するトラウマ回で知られる『怪獣使いと少年』。最近ではこれを自虐史観という人も出てきて、本当に嫌な世の中になったなと思う。

 

 

⑤通過儀礼
町山智浩が映画を評論する際に良く使う言葉がこの「通過儀礼」という言葉です。
ブリタニカ百科事典の項目を引用すると
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
フランスの人類・民俗学者 A.ファン・ヘネップの提唱した用語。人間の生涯における誕生,成人,結婚,死亡などの各段階を通過する際に行われる儀礼で,ある社会的地位や役割から他のそれに変ることを保障する意味をもつ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とのこと。


「通過儀礼」とはすなわち、人間が苦しい困難を乗り越えて、今までとは違う姿に「成長」することです。つまり「未熟者が老練者になる」ことであり「子供が大人になる」その過程のことです。

町山が通過儀礼に興味を持ったのは宝島の編集者時代に、宗教的な観点から「通過儀礼」を研究する宗教学者の島田祐巳と出会ったことがきっかけです。
島田は”人間が人生の重要な節目に今までとは違う存在に変わっていくために行われる儀式”である通過儀礼が映画の中にも存在すると考え、95年には『ローマで王女が知ったことー映画が描く通過儀礼』という本を執筆。この本の中で島田は『ローマの休日』の中にある「通過儀礼」の儀式を読み解いています。(この本は2012年に再版され、町山さんが解説を書いています。)
神話学者のジョゼフ・キャンベルも、世界中の英雄神話や民話の物語を分析、体系化した『千の顔を持つ英雄』の中で、世界中の英雄物語は全て「分離」⇒「通過儀礼」「帰還」の三つに集約されると書いています。
町山はこの考えに大いに影響を受け、積極的に評論の中で用いるようになりました。

物語を前半、中盤、後半の三部構成とするなら、前半が未熟な主人公が事件に巻き込まれるまで(分離)、中盤が厳しい戦いの中で心身ともに強くなるまで(試練)、後半が勝利と成長を手にするまで(帰還)、ということになります。

町山智浩は特にアメリカの娯楽映画は、この「通過儀礼」の見方によってほとんどの作品が理解できると語っています。

町山氏は上述した映画『ハートロッカー』を通過儀礼の見方で説明しています。

ハート・ロッカー [DVD]

ハート・ロッカー (期間限定価格版) [Blu-ray]

ハート・ロッカー (期間限定価格版) [Blu-ray]

 

 

この映画では最初にプロの爆弾処理班としてイラクの戦場を楽しんでいる軍人が主人公として登場します。最初はこの戦争の是非も仲間の死も関係なく黙々と爆弾処理を楽しむ主人公でしたが、いつも基地に商売に来ていた少年が人間爆弾にされて殺されたことをきっかけに次第に心が壊れはじめ、様々なミスを犯します。最後には同じように人間爆弾にされた民間人を救えなかったことに絶望し、アメリカへと帰ります。
しかしアメリカで生活するも、彼はイラクのことが忘れることができず、爆弾処理班として再び帰還するのです。

町山氏によればこの映画は典型的な通過儀礼であり、最初に戦争の中で呑気に爆弾処理を楽しむ主人公は「未熟な状態」であり、後にイラクの悲惨な現状が彼に襲い掛かることで「試練」を受けて一旦敗北するも、精神的に成長したことで彼が再びイラクに戻っていく(帰還)のです。
町山氏はどんなに辛くても、たとえ自分が望まないことであろうと、人生の試練を経験し自分が本当に「やるべきこと」を見つけて背負っていくことが通過儀礼の本質だとし、作家の根本敬氏が『因果鉄道』の中で書いた言葉に基づいて、それを「でもやるんだよ」精神だと語っています。

 

⑥「評論」=「作品」

町山智浩氏は2010年のロフトプラス1でのトークライブで、『2001』自身が映画評論の仕事をする理由を日本にキチンとした評論をする人間がいないからと答えています。
誰も映画の見方をわかっておらず、評論家も表面的な感想ばかりを語るばかりの現状に町山氏は怒りを感じていました。
映画の中にある社会的背景、監督や俳優の過去の作品、作品に影響を与えた文学や映画などをキチンと調べる人間がいない現状の中で、「だから俺がやるしかないじゃないですか」と町山氏は言っています。

同時に町山智浩氏は何度も「俺は評論で自分を表現するんだ」「評論を作品にしている」と語っています。
映画監督を目指し、もしくはロッカーになりたくてバンドをやり、または漫画家になりたくて大学の漫研に入ったりもしましたが、全てうまくいかなかったそうです。
編集者として働いていた時も、「将来は表現者として何かを作るんだ」という気持ちは町山氏の中にあったのはないかと思います。。しかしパイ投げ事件で出版社を辞め、渡米し、職のない中で彼は評論家として本を書くことを選びました。
町山氏とって映画評論とは映画の見方を教えるとともに、自身を「表現」をするための最後の手段なのではないでしょうか。
「映画評論」は彼にとっての音楽であり、漫画であり、そして映画なのです。

映画評論家は彼が望んだ仕事ではないかもしれませんが、彼が自分で選んだ、自身の「やるべきこと」なのです。

www.ustream.tv
町山ファンの間では有名な2010年のトークライブ。この中で映画評論に対する思いを全て語った。

 

 

 終わりに。 ー「映画の中にいる人々の心」を教える映画評論家ー 

f:id:nightstalker0318:20150806201358j:plain

 

町山さんが解説するのは、映画のなかにある登場人物の心の動きであり、同時にそれを作っている監督や脚本家の心の動きです。なぜ彼らがこんな考え方をしているのか、なぜそうしなければならないのかを町山さんは読み解いているのです。

そしてその評論のスタイルは前述した町山さん自身の人生体験と繋がっています。
町山さんは映画評論の中で本当に良い映画とは、多くを語らず、考えを押し付けないが、確固たるメッセージのある映画だと言います。

「人は考えを押し付ければ押し付けるほど(映画の中でわかりやすく説明すればするほど)反発する。良い映画はお客さん自身に映画のテーマを読み解かせる努力をさせるものだ」(2010年「帰国トークライブより」)

町山さんはただ映画をわかりやすく評論をするだけでなく、評論の中に明らかに自分自身のテーマを隠しています。そしてそれを決してわかりやすく説明はしません。
そのテーマとは差別を受けた幼少時代にまつわるメッセージであり、仕事を全て無くしてアメリカに移住し、そこで苦しみながら映画評論を始めたことにまつわるメッセージであり、そして現在自分が関わっている映画にまつわるメッセージです。
しかしそれをハッキリと主張すれば間違いなく反発があることも町山さんはわかっているはずです。特に非差別者が差別について語れば、心無い人たちから反発を受けます。だから町山さんはっきりとは言いません。
しかし間違いなく、そしてわかってもらえるように町山さんは批評する作品を選び、その中に確実にメッセージを込めます。

「責任」というものから逃避する人間が壊れていく姿を描く『シェイム』

ホロコーストを生き残るも、その弾圧の記憶に苦しみ世界そのものを憎むようになったあるユダヤ人を描く『質屋』。

アフリカを舞台に、横暴な狩猟によって現地部族の怒りを買い、追われることになった白人の試練を描く『裸のジャングル』

未来から送られてくる人間を抹殺する殺し屋「ルーパー」が、未来から送られてきた自分自身と戦う姿、そして巻き込まれるある不幸な母子の姿を通して、普遍的な「憎しみ」と「報復の連鎖」を浮き彫りにする『ルーパー』

人の心を描く映画は難解です。現実の人間を理解するよりは簡単ですが、それをリアルに描く映画は当然読み解くのが難しくなります。
しかも才能のある作り手たちは、登場人物の心の動きを通して、自分自身の心も映画の中に描いているのです。
町山智弘は映画作家が作り出した登場人物と、作家自身の心の動きを解説します。そこには作り手たちが必死に表現しようとしているもの、つまり心の叫びをなんとか読み解こうとする真摯な姿勢があります

難解な、わかりにくい映画の作り手たちは批判も当然受けます。難解な映画は「ここはこう考えたらいい」というような簡単な回答はしません。観客自身の想像力に任せたうえで、映画の真意を読み解くことを要求します。「そんなのお客にはわからないよ」という批判も受けます。
しかし町山さんはそういったものこそ高く評価し、そして読み解いていくのです。

 

 

前回⇩

 

 

 

映画評論家 町山智浩の本。

トラウマ映画館 (集英社文庫)

トラウマ映画館 (集英社文庫)

 

ほとんど誰も見たことのない映画を紹介する映画本だが、町山智浩にトラウマを与え、人格形成をした作品を取り上げている。一種の自伝でもあるので町山ファンなら必読。 

映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)

映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)

 

 町山智浩が映画評論家として本格的に活動を始めたころに書かれた本。『2001年宇宙の旅』には実は宇宙人が登場していた!? 必読!

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)

 

 町山さんが批評する際によく使う「通過儀礼」について、様々な映画を通して解説した島田祐巳先生の著書。あとがきの解説は町山さんが担当。町山さんのハートロッカー評と合わせて読みたい本。

映画秘宝で連載していた「男の子映画館」の単行本化。これを見ると町山さんの映画の基本が70年代にあることが良く分かる。

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (文春文庫)

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (文春文庫)

 

 町山さんの出した中でおそらくは一番売れた本。見るとアメリカに対するイメージが変わってしまう危険あり。しかしこの本の根底にはアメリカに対する深いリスペクトがあるのだ。