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不死身の漢!

このサイトは私ことジョンが映画、アニメ、ゲームの批評、解説をするサイトです。

実写版『進撃の巨人』前編を考察!その① 隠された宗教的意味 

進撃の巨人

注意:この記事には実写版『進撃の巨人』の重大なネタバレが含まれています。

注:8月16日に「ファウスト」に関する記述を書き足しました。

 


映画「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」<PG12>プロモ映像 - YouTube

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『進撃の巨人』実写版が8月1日に公開され、公開二日で46万人動員、興行収入6億円の大ヒットだそうです。ですが同時に公開前から言われていたように内容の是非でネット上は賛否両論のようです。原作から改変されたストーリー部分や、大人気キャラのリヴァイが登場しないことなどが主な理由のようです。

 正直僕も、特撮部分でどう見ても巨人が巨人に見えず、「普通サイズの人間だろ! コレ!」といくつかのシーンで思いました。結構失笑するシーンも多かったです。ちなみに巨人は本物の人間がメイクして出ています。せめて目をCGで黒く潰したりすればもっと恐ろしくできたと思うのですが・・・。目が普通の人間なんだ、これが・・・。

立体軌道のシーンは、大勢の人が言う通り、「これはちょっと・・・」な出来。基本やってることは『スパイダーマン』なのですが、あっちを観た後に『進撃』を見ると「んんんっっーー?」という感じ。巨人と戦うシーンもカメラ揺らしすぎて何してるのか分からないのもちょっと・・・。単に特撮を誤魔化すためかもしれませんが・・・。

とはいえこの実写版『進撃の巨人』前編は、すごく面白かったです。
とにかく残酷、ゲテモノ、パニック、戦闘、青春ドラマと、2時間一気に見ることができました。
巨人たちもなんだかんだ生理的な気持ち悪さは確かにすごかったです。何度も「キモッ」って言葉が出てきました。特に赤ちゃん巨人はキモ過ぎ。

ところでこの映画見ていると、物語の中にいろいろな要素が盛り込まれているのがわかります。特にあるのは宗教的な意味合いです。
脚本を担当したのは映画評論家の町山智浩さん。彼はアメリカ映画を読み解くときに、よくキリスト教的な観点から語ることが多い人です。(勿論、それは実際にアメリカ映画には宗教的な意味が隠された作品が多いからです)
本作でも明らかに宗教、特にキリスト教的な意味合いが多く隠されています。今回はそれを考察していくことにしましょう。

 

エデンの園に暮らすアダムとイブ。エレンとミカサ。

今回の『進撃の巨人』実写化で一番原作と変わったと言われるのが、映画の冒頭部分です。『進撃』の漫画版ではエレンは過去にミカサを守るために人を殺した経験があり、既に達観したところのある少年です。ミカサも原作では強盗に親を殺されているため登場したころから感情表現が乏しい女の子として描かれていました。

それが今回の実写版。最初の登場シーンで二人は無垢で明るい性格の男女として描かれています。特にミカサの変わりようには僕も驚きました。

「ヤンデレじゃない!?」

 それはともかく、エレンとミカサは映画の冒頭では壁に守られた城郭都市の中で幸せな生活を送っていました。しかしそこに大型の巨人が現れ、街を守ってきた壁を破壊。街に巨人が侵入して、地獄のような虐殺が起きます。

この冒頭のエレンとミカサが街で平和に暮らすシーンを、脚本の町山智浩は聖書におけるエデンの園に暮らすアダムとイブようなものだとTBSラジオ「たまむすび」の中で語っています。


【必見】町山智浩 実写版「進撃の巨人 Attack On Titan」たまむすび - YouTube


旧約聖書の「創世記」の中で神は自分に似せてアダムとイブを作り、エデンの園の中に住まわせます。
アダムとイブは純粋な心を持ち、善も悪も知らず、裸であることを恥ずかしいとも思わず一糸纏わぬ姿のまま、楽園の中で幸せに暮らしていました。

しかし神は、園の中心にある「知恵の樹」に生えた実だけは決して食べてはならないと二人に警告します。「知恵の樹」に生える実を食べると、人間は善悪の知識を手に入れることができるからです


なぜシキシマはミカサにリンゴを食べさせるのか?

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ルーベンス 作 『アダムとイブ』。蛇がイブにリンゴを食べさせようとするのを見て、驚くアダム。

 

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ミケランジェロ 作 『禁断の果実』。よく見ると持ってるのはイチジクのように見える。宗教によってリンゴかイチジクか議論があるらしい。

映画冒頭、巨人の襲撃によってミカサとエレンは離れ離れになり、エレンはミカサを助けることができなかった罪の意識から、巨人に奪われた領地を取り返す特務部隊「調査兵団」に志願します。しかし実はミカサは死んでおらず、「調査兵団」の隊長シキシマの下で屈強な戦士に生まれ変わっていました。
ミカサもまた、巨人襲撃の際に大勢の人間が死ぬのを目の当たりにし、感情というものを失っていたのです。そこにシキシマが現れ、彼女に巨人殺しの術を教えました。
シキシマはエレンに見せつけるようにミカサを抱きしめ、リンゴを食べさせます。


「創世記」のなかでエデンの園の中に生きるイブに狡猾な蛇が近づき、彼女を誘惑します。

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蛇は女に言った。

「園のどの木からも食べてはいけないと神は言われたのか?」

女は蛇に答えた。

「私たちは園の木の果実を食べても良いのです。でも園の中央にある木(知恵の樹)の果実だけは食べてはいけない、触れてもいけない。死んではいけないから、と神はおっしゃいました」

蛇は女に言った。

「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」

女が見るとその木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男(アダム)にも渡したので、男も食べた。

               「創世記」 第3章 2~6節
                (日本聖書協会 発行 『聖書 新共同訳』)

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アダムとイブは知恵の実を食べてしまったことに神は怒り、二人をエデンの園から追放してしまいます。
これが「原罪」と呼ばれるものです。人間が神の教えを破り、神に従わないという「自由意志」を持ってしまったことの罪なのです。

蛇がイブに知恵の実を食べるよう誘惑した理由はキリスト教においては、蛇が悪魔の使いだからと言われています。17世紀の詩人ジョン・ミルトンが書いた『失楽園』の中では、神によって地獄に突き落とされたサタンが蛇に化けてエデンの園に入り込み、イブを誘惑するという話になっています。

この『進撃』の映画に置き換えるなら、エレンがアダムであり、ミカサはイブ、そしてシキシマが二人を誘惑する蛇なのです。

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人類最強の男、シキシマ。名前を変えただけのリヴァイというよりも、リヴァイをベースにした新キャラと思った方が良い。

 

映画の中でシキシマはミカサを巨人と戦えるように鍛えるだけでなく、エレンに対しても巨人と戦うように仕向けていきます。
『失楽園』の中でサタンは神に反抗し、神の世界と戦争を起こしますが結局は負けてしまいます。
だから今度は知恵の実をアダムとイブに食べさせ、神に従う生き方しかできない二人に知恵をつけることで、二人を神に対して反抗させるのです。
「知恵の実」の知恵とは即ち「善悪」ことです。
神は人間を無垢で純粋な存在として作ったはずなのに、誘惑に負けて知恵の実を食べたことで二人は自分自身の欲望を持ち、罪を犯す人間、穢れを持つ人間、その快楽を知った人間になってしまったのです。そうなればもはや人間は神の奴隷ではいられません。
こうしてサタンは神の世界を内部から破壊しようとしたのです。

この場合でいう神は、この映画において巨人に当たります。

これは僕が勝手な思い込みで言っているのではなく、原作者の諌山さん自身がブログ上でこう述べています。

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この映画特電で感銘を受けたのは、西洋諸国に根付く考え、
神、秩序、体勢、に従う事への恐怖や抵抗感、
人間の根源的な自由意志、
「奴隷の幸福か、地獄の自由か」ってヤツです、

前者が、現状に満足して壁の中で日常を過ごす人々、
後者が、現状に不満を懐き命を懸けて自由を求める人々、
かっこいいのは言うまでも無く後者、

つまり、この漫画で言う神様ってのは巨人のことです、
             
 諌山創 公式ブログ 2009年11月22日
            現在進行中の黒歴史 : 町山智浩と言う男がいる

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映画の中でシキシマは「狼を恐れて柵の中で暮らす、そんな動物をなんと言う?」とエレンに問いかけます。そしてエレンは「家畜」と答えます。

つまりこの映画の中でエレンとミカサは神の掟を護りながらエデンの園の中で生きるアダムとイブであり、それがシキシマという蛇によって知恵を付けられることで、巨人という神に反抗し、戦いを挑んでいく物語なのです。

しかしそうなるとシキシマは本当に味方なのかが、ものすごく怪しくなってきます。
果たして9月公開の後半で彼がどんな行動を取るのかが気になるところです。

 

 『ダンテの神曲』からの引用。実写版『進撃』は地獄めぐりの物語?

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『われを過ぎる者、苦患(くげん)の都に入る。
われを過ぎる者、永劫の呵責に入る。
われを過ぎる者、滅びの民に伍(ご)する。
正義は高き創り主を動かし、  神威は、至高の智は、始源の愛は、われを作る。
永遠に創られしもののほか、わが前に  創られしものなく、われは無窮に立つ。
われを過ぎんとする者、すべての望みを捨てよ。

                 ダンテ・アリギエーリ 『神曲』 第3歌より
                  (帝京大学外国語外国文学論集 第16号)

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神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

 

 実写版『進撃』の脚本家、町山智浩は上述したTBSのラジオ番組のなかで、今回の『進撃』のストーリーをエレンという主人公が「罪の贖罪を求めて地獄を巡っていく物語」と表現しています。エレンが巨人と戦う道を選ぶのは自分自身を罰するためだと言うのです。ここで言うエレンの罪とは、映画の冒頭でミカサを見殺しにしてしまったことです。

中盤、実は生きていたことが判明しますが、巨人の襲撃でミカサの心は壊れ、巨人を殺すためだけに生きる存在になっていました。
ミカサは逃げる途中で保護した赤子を目の前で巨人に食われ、自身も大きな傷を負いました。その傷を見せながらエレンに言います。

「あの子は食われた、私も」

彼女は生きていました、ですがエレンの知っている無垢な少女の心は死んでしまったのです。生きていても彼女を救えなかったこと自体は変わりません。そのためエレンは自分の無力を責め、苦悩します。
町山の言葉をそのまま受け取るなら、彼はその罪の意識から巨人がいる地獄のような世界に自ら墜ちていくのです。自らを罰するためにです。

「地獄を巡る物語」というとまず思い浮かべるのは13世紀にダンテという詩人が書いた『神曲』です。

 ダンテの『神曲』は「地獄編」、「煉獄編」、「天国編」の三部からなる、作者自身を主役にした一大叙事詩です。
人生の半ばで人生の行き先を見失ったダンテが、ある時森の中に迷い込んでしまいます。そこでダンテは古代ローマの詩人ヴェルギリウスに出会い、彼に導かれて罪人が送られる地獄の世界へ、そしてそこから天国の世界へと旅していくという物語です。
『神曲』中でも地獄編の生々しい描写は有名で、三部の中でも一番人気があるそうです。

『神曲』の中で地獄の世界は9つの階層に分かれていて、下に向かうほど罪の重い罪人の魂が幽閉され、永遠の拷問を受けています。以下はwikipwdiaの『神曲』の項目からの引用です。

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地獄界の構造

  • 地獄の門 - 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘が記されている。
  • 地獄前域 - 無為に生きて善も悪もなさなかった亡者は、地獄にも天国にも入ることを許されず、ここで蜂や虻に刺される。
  • アケローン川 - 冥府の渡し守カロンが亡者を櫂で追いやり、舟に乗せて地獄へと連行していく。
  • 第一圏 辺獄(リンボ) - 洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。
  • 地獄の入口では、冥府の裁判官ミーノスが死者の行くべき地獄を割り当てている。
  • 第二圏 愛欲者の地獄 - 肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流される。
  • 第三圏 貪食者の地獄 - 大食の罪を犯した者が、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る。
  • 冥府の神プルートーの咆哮。「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」
  • 第四圏 貪欲者の地獄 - 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。
  • 第五圏 憤怒者の地獄 - 怒りに我を忘れた者が、血の色をしたスティージュの沼で互いに責め苛む。
  • ディーテの市 - 堕落した天使と重罪人が容れられる、永劫の炎に赤熱した環状の城塞。ここより下の地獄圏はこの内部にある。
  • 第六圏 異端者の地獄 - あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られている。
  • 二人の詩人はミノタウロスケンタウロスに出会い、半人半馬のケイロンネッソスの案内を受ける。
  • 第七圏 暴力者の地獄 - 他者や自己に対して暴力をふるった者が、暴力の種類に応じて振り分けられる。
  • 第八圏 悪意者の地獄 - 悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる。
  • 第九圏 裏切者の地獄 - 「コキュートス」(Cocytus 嘆きの川)と呼ばれる氷地獄。同心の四円に区切られ、最も重い罪、裏切を行った者が永遠に氷漬けとなっている。裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす。
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劇中、とうとうエレン達調査兵団が巨人の支配する地区へと向かう時、ピエール瀧演じるソウダというキャラクターが「この門をくぐる者、一切の望みを捨てよ」と呟きます。これは『神曲』からの引用で、ダンテがいよいよ地獄へと足を踏み入れようとした時に、地獄の門の正面にその碑銘が彫られているのを見るシーンがあります。

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ウィリアム・ブレイク 作 『地獄の門をくぐるダンテとヴァージル』。門の上に上述した碑が彫ってある。

 

『神曲』の中で、自身の人生に悩むダンテが地獄へと繋がる森へと迷い込み、このままでは地獄へと落ちてしまうところを、天国の世界で聖女となったベアトリーチェという女性が救い出します。

ベアトリーチェは詩人ダンテが幼いころに出会ったとされる女性です。ダンテは一目で恋に落ち、彼女を深く愛するようになりました。しかしダンテはベアトリーチェとはその後数回会ったきり、彼女は病気により24歳の若さで亡くなってしまいます。
その悲しみから気が狂わんばかりになったダンテは、その後の詩人としての生涯を全て彼女のために捧げ、彼女のことを歌った詩をまとめた『新生』を書き上げます。

そして文学史上に残る傑作『神曲』も同じように、ダンテが愛するベアトリーチェのために書いた物語なのです。

神曲の中盤、地獄を抜け、天国へと至る道の中でダンテは永遠の聖女となったベアトリーチェと再会し、彼女の導きによって天国を巡り、そうしてダンテは真の「救済」を得るのです。

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ギュスターヴ・ドレの挿絵。ベアトリーチェに導かれて神の国(至高天)を共に見るダンテ。

 

 

『ファウスト』と『神曲』

このダンテの『神曲』に影響を受けたとされる作品があります。
それがゲーテが19世紀に書いた戯曲、『ファウスト』です。

 ファウスト(全)

 

世界中のあらゆる知識を覚え、あらゆる学問を究めたファウスト博士。しかし彼の知識は全て頭の中だけのものでしかなく、人生の中で実際に何も体験してこなかったことに絶望します。
しかしそこに悪魔メフィストフェレスが現れ、ファウストに望みを全て叶える代わりに彼が死んだあと、死後の世界で奴隷となることを要求します。
メフィストと取引したファウストは彼にこう言います。

「世界の全てを知りたい。善きものも悪きものも、幸福も苦悩も、人類に課せられたものすべてを知りたい」

こうしてファウスト博士は悪魔メフィストによって若い肉体を手に入れ、共に新しい人生の旅に出ます。
ファウスト博士は望むがままにあらゆる世界を見て回り、あらゆる快楽、そして苦悩を体験することになります。しかし同時にファウスト博士は、愛する者を死に至らしめ、実際に殺人を犯し、戦争を指揮し、政治家として人民を弾圧するなど、ありとあらゆる罪悪までも背負っていくことになります。
やがて最後の時が訪れ、ファウストが死に、メフィストが彼の魂を連れて行こうとします。ですがそこに天から神の光と、天使の群れが降りてきてきます。
そしてファウストが人生の中で最も愛しながら、結ばれることのなかった女性、グレートヘンが聖女として天上から降りてきて、彼の魂を救い出すのです。

「ファウスト」という物語は、特にラストの「今は亡き愛する女性(聖女)によって魂が救い出される」という部分がそうですが、この筋書きは完全に『神曲』を意識したものです。

さらにファウストに「世界の全てを見せてやる、でも死んだあとお前の魂をもらう」と、彼を誘惑する悪魔メフィストフェレスは、上述した聖書における蛇、そしてヨブ記に出てくる神と賭けをする悪魔サタンが元になっていて、このメフィストもシキシマのキャラクターの参考になっていると思われます。

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ファウストの後ろに立ち、彼を誘惑する悪魔メフィストフェレス。
ね、シキシマっぽいでしょ。

 

世界の全てを知らずにはいられないファウスト的人間、つまりエレン。

「世界の全てを知りたい」、そのためなら悪魔とでも取引するファウスト博士のような人間は、そのままずばり「ファウスト的人間」、もしくは「ファウスト的自我」と呼ばれるそうです。
決して現状では満足することができず、常に上を見て努力し、行動し続ける。そのためなら失敗も恐れないのがファウスト的人間です。それはつまり

まだ見ぬ世界を常に追い求め、そのために罪を背負っても構わない。

ということです。

『ファウスト』の作者であるゲーテはそれこそが最も偉大な人間であると考え、だからこの物語の最後にファウスト博士は神の救済を得ることができるのです。

「ファウスト的人間」は常に進歩を目指すヨーロッパ型人間の特徴とも言われ、その背景には神を絶対的なものとし、その神から与えられた権力によって教会や王政が厳格なルールを敷いてきた中世の時代から、ルネサンス以降、人々が神や、その代理人達に支配された状態から脱却して、一人一人の人間性を重視した自由な生き方を模索してきたことがあるのです。
物語の終盤、死を目前にしたファウスト博士はこう言い放ちます。

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「自由も存在も日々闘い、勝ち取る者にこそふさわしい。
 私は自由な大地に立つ、このような自由な人々からなる土地にこそ私は生きたい。
 その時こそ、私は時の一瞬に声高らかに呼びかけ、こう告げる。

 「とどまれ。お前は素晴らしい」と。」

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今回の『進撃の巨人』が聖書や『神曲』、「ファウスト」をモチーフにしたものであるなら、壁の外の世界を望み、自分の罪に苦しみ、そして地獄を巡るエレンが行き着く先はどこにあるのでしょうか?

前編の中盤で再会した幼馴染のミカサが、エレンにとっての「永遠の聖女」になるのでしょうか?
はたしてミカサによってエレンは地獄から救い出されるのか?

 

以上が実写版『進撃の巨人』の中にある宗教的な要素の一部です。

次回は19世紀の哲学者キルケゴールの思想が、実写版『進撃の巨人』中に入っているというお話をしたいと思います。
これは僕が深読みしてるんじゃなく、脚本の町山さん自身が何度も言ってきたことなんですよ。

 

 〇8月18日追記:上の「ファウスト的人間」で書き忘れましたが、「進歩するためらなら罪を背負っても構わない」というヨーロッパ的なファウスト的自我は、後にナチスドイツとファシズムを生み出すことにもなったそうです。やはり人間は立ち止まって自分を見つめなおしたり、他人を顧みる必要があるということですね・・・

 

実写版「進撃」考察シリーズ⇩

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