読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

不死身の漢!

このサイトは私ことジョンが映画、アニメ、ゲームの批評、解説をするサイトです。

実写版『進撃の巨人』前編を考察 その② エレンが跳ぶシーンの意味とリープ・オブ・フェイス(Leap of faith) 

進撃の巨人

エレンはなぜ跳ぶのか?

f:id:nightstalker0318:20150810003613j:plain
画像は実写版『進撃』PG12版予告編の中から。「跳んで」見せるエレン。

 


今回テーマとして取り上げるのは1分15秒のシーン。

前回の記事では、実写版『進撃』の宗教的意味について触れました。
今回は解説するのは劇中エレンが巨人に向かって戦いを挑む、終盤のシーンです。

 物語終盤、調査兵団が巨人の群れに囲まれ絶体絶命のピンチに陥いり、その中でエレン(三浦春馬)は、ビルの屋上で一人隠れて震えているジャン(三浦貴大)を見つけます。

ジャンは「巨人に勝てるわけがなかったんだ」と呟きます。周りでは巨人達に仲間が次々と食われていく地獄の光景。エレンの中にも絶望が広がります。
しかしそこでエレンは今しがたシキシマに言われた言葉を思い出します。

「狼を恐れて柵の中で暮らす、そんな動物を何と言う?」

それに対してエレンは「家畜」と答え、「俺は家畜とは違う」とシキシマに言います。
するとシキシマはこう返します。

「では跳んでみろ」

しかしこの言葉の意味がその時はエレンにはわかりません。何を「跳ぶ」というのか?

「失わなければ得られない」(確かこんなセリフでした。間違ってたらすいません!)

巨人がもたらす絶望の中、エレンはその言葉を思い出し、心の中に何かが生まれます。

勇気のような、怒りのような感情に突き動かされ、エレンはビルから「跳んで」みせます。エレンは考えるのを止め、巨人に向かって戦いを挑むのです

 

 「リープ・オブ・フェイス」という思想と町山智浩。

「リープ・オブ・フェイス(Leap of faith)」という言葉があります。
これには「信仰への飛躍」という意味がありますが、この言葉を生み出したのは19世紀の哲学者セーレン・キルケゴールだとされています。

実写版『進撃』の脚本を担当した町山智浩は、このキルケゴールの思想を過去に映画批評の中で何度か取り上げています。
町山は『あまちゃん』の紹介の際に『リープ・オブ・フェイス』のことを「ドラマ上に必ず存在する、人を決心させるためのもの」と言っています。

 

第97回 『インセプション』とリープ・オブ・フェイス | EnterJam - エンタジャム - 映画・アニメ・ゲームの総合エンタメサイト

 ⇧町山智浩のポットキャスト。キルケゴールとインセプションの関係について語っている。

 


町山さんが『あまちゃん』を語る回。5分25秒ごろにキルケゴールの話が出てくる。

 

キルケゴールの哲学は「自己」というものを徹底的に追及することで真理に到達するというものでした。

哲学者ヘーゲルは人類はいずれ真理に到達する、それまでは絶えず続く「弁証法」の積み重ねによって人類は進歩していくべきという哲学を持っていましたが、それに対してキルケゴールは

「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うような真理を発見する」

と、人類が社会全体で何千年先になるかわからない抽象的な真理を発見するよりも、今現在生きている自分自身が、抽象的にではなく実際に幸せだと感じることのできる真理を見つけるべきだと考えたのです。この考えは後に実存主義を生み出していきます。

そのキルケゴールの哲学の中から生まれたのが「リープ・オブ・フェイス」(信仰への飛躍)という考えです。
これは今では、「たとえ不合理であろうともそれを信じて、そのことに飛び込んでいく」、という意味で使われています。
しかしキルケゴールの本来の意図は神に対する盲目的な信仰を持つということでした。
彼はそれを、聖書に登場するアブラハムが神の命令によって自分の息子イサクを殺そうとしたこと(アブラハムはこれによって「信仰の父」と呼ばれる)を例にあげて説明します。
キルケゴールは熱心なキリスト教徒として、神という不確かな存在に、たとえ不合理であろうとも、その疑念を跳び越えて徹底的な信仰を捧げること。
それこそが主体性という、本当の「真理」だと考えたのです。

 ちなみに実写版『進撃』の話をしてますよ!関係ない話じゃないですよ、映画のエレンに当てはめて読んでください。

 

 

キルケゴールが提唱した実存の三段階。

キルケゴールは「リープ・オブ・フェイス」に至るために、人間は三つの段階を踏まなくてはならないと考えました。

①美的実存
仕事、勉強、人間関係、結婚、出産など様々な(社会的な)「戦い」から逃避して、富や名声、自身の快楽や健康など、自分だけの利益や享楽だけを求めて生きることが美的実存です。
社会、世界がどうなろうと自分には関係なく、その場限りの快楽に身を投じるという生き方ですが、キルケゴールはいずれこの生き方は破たんし、その人は絶望に苛まれることになると考えます。人生の戦いから逃げる生き方に先はなく、待っているのは「虚無」だからです。
ですが、その絶望を味わうことで、その人は次の段階に進めるのです。それが論理的実存です。

②論理的実存
この段階で人は美的実存を捨て、社会において論理的とされるすべてのこと、仕事、勉強、人間関係、結婚、出産という戦いに全力を尽くさなければなりません。
現実の社会が課す義務と責任をキチンと背負い、地に足をつけて生きることで、人間は生を実感し、本当の実存的な喜びを得ることが出来るのです。
しかしキルケゴールは、これもまたいずれ限界が来ると考えます。
なぜなら人間には限界があり、世の中が期待する義務や責任を果たそうとするなら、絶対に背負いきれない状況が必ずやってくるからです。

その時、人は人生と戦う意欲を完全に失います。
そして人間は自分の無力さを呪い、絶望するときがやってきます。

そしてその時初めてやってくるのが最後の段階です

③宗教的実存。
人間はこの時点で様々な成功と失敗を、度重なる絶望を体験し、自己否定を繰り返します。その中で人はこれまで意識しなかった自分の心の奥底を初めて見つめます。
そしてその時人は世界、社会、世の中といった全てのしがらみを忘れ、他の誰でもないたった一人の自分自身、「単独者」となります。
ここからが僕を含む無宗教の人には理解しにくいですが、その時に人は自分が神の前に立たされていることに気づくというのです。
様々な絶望の果てに人は、自分自身の魂を見つめ、それが自分よりも上位の存在、すなわち神と繋がっていると気づきます。
そして人は自分自身の人生で犯した罪を悔い改め、神的な存在を受け入れようとします。
しかし当然のごとく、「神」という大きな存在を果たして小さな存在の自分が受け入れられるのか不安になります。様々な失敗を経験しているからなおさらです。

しかしキルケゴールは、その時こそ人は論理的な考えを捨て、例え不条理に思えようとも、疑念も何もかも捨てて神への信仰に飛び込め!と言うのです。

この理性を超えた究極の決断をしたときに、人はようやく本当の実存、「生きている意味」をつかむことができるのです。

そしてこの決断こそ「リープ・オブ・フェイス」、信仰への飛躍なのです。

 

キルケゴールの影響を受けた映画。
この「リープ・オブ・フェイス」の思想はその後様々な思想に影響を与え、次第に宗教以外の意味でも使われるようになります。
”take a leap of faith”という言葉は、欧米では「理屈抜きでとにかくやってみろ」という意味になっています。
映画でも多くの作品が影響を受け、特に最近だとインセプションが「リープ・オブ・フェイス」の思想に影響を受けていました。

f:id:nightstalker0318:20150810004329j:plain
”take a leap of faith” 渡辺謙がそう言ったことでディカプリオは危険な冒険に出る覚悟を決める。


他にも『マトリックス』などもキルケゴールの思想に影響を受けていると言われています。劇中モーフィアスというキャラが主人公ネオにビルの屋上から隣のビルの屋上に跳んで見せます。

そんなことができるのは仮想空間の世界だからですが、モーフィアスは「心を解き放ち、疑念を捨てる」ことで可能になると言います。
そして終盤、ネオは全ての疑念を捨て去ることで、最強の戦士へと生まれ変わるのです。

 

 人生を切り開くには苦難に飛び込まなくてはならない!

以上を踏まえて『進撃』の終盤を考えてみましょう。

 実写版『進撃の巨人』で、エレンは原作以上の苦難に見舞われます。序盤で不安なく平和に暮らしていたところを巨人の襲撃によって、死の恐怖を目の当たりにし、その中でミカサを亡くしてしまいます。これが第一段階の美的実存です。
次に恐怖に震えながらも立ち上がり、巨人と戦う決意を固め、調査兵団に入りますが、途中ミカサが生きていたことを知るも彼女は自分のせいで心を失い、危険な戦いの中にいたことを知らされ、打ちのめされます。これが第2段階の論理的実存です。
そして再び巨人がエレンを襲います。巨人に戦いを挑む仲間達が次々食われる中、仲間のジャンは「巨人には絶対に勝てない」と震えながら言います。
エレンは度重なる絶望によって、とうとう心が折れそうになります。

ミカサの言った「世界は残酷」という言葉通り、この世界は非情で、それがエレンの上に覆いかぶさっているのです。この不幸は全ては巨人が生み出したものであり、エレンは それに対して何もできず、ただ苦しむだけでした。
しかしエレンはシキシマに

「狼を恐れて柵の中で暮らす、そんな動物を何と言う?」

と言われたことを思い出します。
このままでは自分は家畜と同じになってしまう。ただ世界に踏み潰されるだけの奴隷になってしまう。

「跳んでみろ」

エレンはビルから跳びおり、巨人に戦いを挑みます。勝てるかどうかは考えません。
論理的に考えればどう考えても死にます。巨人の群れに勝てるわけがありません。

でもやるんだよ!

これが第三段階、「宗教的実存」であり、「リープ・オブ・フェイス」なのです。
これは「自由意志」という思想ともつながっており、「進撃」のテーマでもある「天国の幸福よりも、地獄の自由を選ぶ」という考えに繋がるのです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「奴隷の幸福か、地獄の自由か」ってヤツです、

前者が、現状に満足して壁の中で日常を過ごす人々、
後者が、現状に不満を懐き命を懸けて自由を求める人々、
かっこいいのは言うまでも無く後者、

つまり、この漫画で言う神様ってのは巨人のことです、
             
 諌山創 公式ブログ 2009年11月22日
            現在進行中の黒歴史 : 町山智浩と言う男がいる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


キルケゴールの思想に町山智浩は大いに影響を受けており、それを『進撃の巨人』の映画に取り入れたのです。

 

 

 

 

次回はシキシマ役の長谷川博己さんについて語りたいと思います。
実は彼が出た「MOZU」での役柄、そして『ダークナイト』のジョーカーがシキシマというキャラに関係してくるのです!

 

 

キルケゴールの本

 

世界一わかりやすい哲学の授業

世界一わかりやすい哲学の授業

 

 キルケゴールの難しい著作を読みたくない方はこちら。キルケゴールのパートは短いが、『死に至る病』、「人生行路の諸段階」がわかりやすくまとめられている。

 

死に至る病 (岩波文庫)

死に至る病 (岩波文庫)

 

人が抱える「絶望」というものについて書いた本。人が絶望するとき、それは周りの環境にではなく自分自身の無力さ対して絶望していると書かれている。
幸せだと思っていても、実は自分が絶望していることに気づいていないだけ。

 

キルケゴール著作集〈第3巻〉あれか,これか (1965年)
 

 人は自身の快楽だけを追求した生活か(美的生活)、責任や義務を背負う生活か(論理的生活)のどちらかを選ばなければならないと書いた本。もちろん選ぶべきは論理的生活であり、そうしなければ生きる実感は得られないと書く。

 

 人が真理に到達するためには「美的実存」、「論理的実存」、「宗教的実存」の三段階を通らなくてはならないと書いた大著。

 

実写版「進撃」考察シリーズ⇩

 

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN  Blu-ray 通常版
進撃の巨人 ATTACK ON TITAN Blu-ray 通常版

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド  Blu-ray 通常版
進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド Blu-ray 通常版