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不死身の漢!

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新感覚ホラー『イット・フォローズ』評論 町山批評への補足

映画批評 町山智浩

注:この文章には『イット・フォローズ』のネタバレが含まれています。 必ず鑑賞後にご覧ください。

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『イットフォローズ』予告編

 

映画評論家の町山智浩さんが自身のポッドキャストで現在公開中(2016年1月)のホラー映画『イット・フォローズ』の評論を行いました。

tomomachi.stores.jp

歩いて追いかけてくる謎の「it」の正体や、なぜ「it」が主人公の両親の姿なのか、ドストエフスキーの『白痴』の引用の意味、ミッチェル監督の前作との繋がりなどが解説されています。『イット・フォローズ』を見た人はぜひ聞いてみてはいかがでしょう。

ところで町山さんの『イット・フォローズ』についての批評ですが、監督のデヴィッド・ロバート・ミッチェルがアメリカの映画史Film makerで受けた北米公開直後のインタビューと、彼のツイッター上での発言の二つを元に行われています。
しかし実は日本公開の7日後の1月15日に出たニューズウィークのインタビュー記事で、ミッチェル監督がほとんど答え合わせに近い詳しい内容の説明をしているのです。

www.newsweekjapan.jp

 

このインタビューの内容を見ると、町山さんの批評はほぼ当たっていることがわかります。(さすが町山智浩)

今回はこのインタビューを元に町山さん批評への補足といくつか気が付いた点を書きたいと思います。

 

町山智浩の『イット・フォローズ』評


まず最初に町山さんの『イット・フォローズ』評をポイントごとに説明していきます

 

○これは性病へのメタファーの映画ではない。
ホラー映画に出てくるモンスターとは「傷ついた心」や「抑圧された性欲」の象徴であるという議論は昔からありました。(フランケンシュタインやキングコングなど)
ホラー映画ではセックスに奔放な女の子から殺されるというのが定番ですが、そこにはホラー映画を見てる人たちや作ってる人たちのなかにある「女性嫌悪」、「抑圧された性欲」が反映されていると言われています。(悪い言い方をすればモテない男の女性への恨みがモンスターとして表現されているということです)
この映画も公開後、内容を巡って様々な議論があり、アメリカではセックスによって感染する「それ」とは性病のメタファーではないのか?と言われました。若者がいい加減なセックスをしたことによって受けるしっぺ返しを描いた作品ではないのかという批評もありましたが、監督のディビッド・ロバート・ミッチェルは「それは違う」とはっきりと否定し、アメリカの月刊誌FILMMAKERのインタビューの中で「これは生と死、そしてセックス、そして愛についての物語だ」と語っています。

 

○『イット・フォローズ』とマイク・ニコルズの『卒業』

町山さんは『イット・フォローズ』にはマイク・ニコルズ監督の『卒業』が影響を与えたのではと指摘しています。

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The Graduate - Trailer - HQ

ダスティン・ホフマンの演じる主人公ベンジャミンは自分の将来をどうしたらいいかわからずに思い悩む男ですが、『イット・フォローズ』の主人公ジェイもまた同じ悩みを抱えています。

劇中のプールにジェイが浮かんで漂うシーン、ジェイの親友グレッグが母親の姿をした「それ」に襲われ、犯されながら殺されるシーン、そして苦難の末に結ばれた男女が去っていくラストシーンがなど『卒業』からの影響と推測できます。

 

『アルフレッド・プルーフ・ロックの恋歌』
劇中、大学のシーンでT・S・エリオットの詩『アルフレッド・プルーフ・ロックの恋歌』が朗読される場面がありますが、これにも重要な意味があります。

『恋歌』はアルフレッド・プルーフ・ロックという一人の中年男の心の中を歌った詩。プルーフロックは社交界に繰り出しそこで女性たちを誘ってみたいのですが、頭の禿にコンプレックスのある彼はどうしても踏ん切りが付かず、あれこれと思い悩みます。

この詩は自分へのコンプレックスや不安から外の世界(恋や愛)に飛び出すことができない男の苦悩を歌っているのです。
これは『イット・フォローズ』の主人公ジェイ、そしてポールの心とシンクロしています。

 

ディビッド・ミッチェル監督の前作『アメリカン・スリープ・オーバー』との関係。


The Myth of the American Sleepover Trailer

『アメリカン・スリープ・オーバー』はディビッド・ロバート・ミッチェル監督が2010年に監督した青春映画です。(この映画は日本では未公開で、イベントで上映されたっきりDVDにもなっていないようです。)
アメリカでは毎年行われるスリープ・オーバー(お泊り会)を舞台に、様々な想いを秘めた若者達の一夜を描いたこの作品は、テーマが『イット・フォローズ』と繋がっていると町山さんは分析します。

酒、たばこ、キスやセックスへの憧れ、大人になっていくことへの期待。少年少女たちの心の世界を描いた物語。

この映画の中には大人はほとんど出てこず、子供たちだけの世界となっているようです。実は『イット・フォローズ』にもまともに大人が登場しません。

 

○ポールと『白痴』の主人公ムイシュキン。

白痴 1 (河出文庫) 

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弱弱しい男キャラと思いきや、見事な男気を見せるキャラ、ポールメガネっ娘のヤラから『白痴』の主人公みたいと言われる。

 

『イット・フォローズ』の劇中、なんだかよくわからないシーンがいくつか出てきます。「それ」に追われている主人公のジェイが幼馴染のポールの家に泊まって彼と二人きりで話すシーン。それと中盤に車で事故を起こしたジェイが病院で寝ていると彼女に好意を持つ男グレッグが見舞いに来てジェイと二人きりで話し、それをポールがじっと眺めている場面です。
映画を見た人ならわかりますが、ポールは子供のころからずっとジェイのことが好きだったのですが、彼女には決して本心を言わずに、彼女が誰と付き合おうとただじっと黙って(彼女のために)傍にいようとします。
劇中ジェイの親友ヤラが、ポールのことを「『白痴』の主人公みたい」と言いますが、この純粋なキャラクター性はおそらくはこの『白痴』の主人公ムイシュキンがモデルになっていると思われます。

ムイシュキンは純粋無垢な心を持ち誰に対しても同情する心を失わない人間として登場し、ヒロインのナスターシャを愛するようになります。そして破滅的な生き方をする彼女ために献身的に尽くすようになるのです。
このキャラクターがジェイに対して自己犠牲的に尽くすポールのモデルになっていると思われます。

 

○「それ(It)」の正体とは? ヒントは『白痴』の引用シーン。

劇中では結局最後まで「それ」の正体はわかりません。

劇中に「それ」は様々な人間に姿を変えてジェイに襲い掛かりますが、最後はジェイの父親の姿に変わります。(ラスト近くにジェイの家族の写真が出てきて、それがわかるようになっている)
詳しくは語られませんが、おそらくジェイの父親は既に他界しており、彼女はその父親の死から完全に立ち直っていなかったことが示唆されています。
ラスト付近、ジェイの親友のヤラがドストエフスキーの『白痴』を朗読します。それは主人公ムイシュキンがギロチンにかけられる死刑囚の心情を説明する場面です。

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たとえば拷問ですがね、その苦しみも傷も全て肉体的なものです。ですからかえって心の苦しみを紛らわせてくれるんです。
でも一番強い痛みというのは、きっと傷なんかの中にあるのではなく、
あと一時間たったら、10分たったら、いや30分たったら、今にも魂が肉体から抜け出して、二度と人間ではなくなるんだということを確実に知る気持ちにあるんですよ。

        新潮世界文学12 ドストエフスキー3 『白痴』 29ページより  

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これは映画を読み解くうえで大きなヒントです。

つまり「それ」の正体とは人間が生きる上で逃れられない「死」そのものなのです。

主人公ジェイは将来のことをはっきりと決められないまま成長し、そして映画の最初に恋とデートとセックスを経験します。こうして彼女は大人になり、成長し続ければ必ずやってくる「死」というものを意識するようになったのです。
「それ」が死んだ父親の姿をしているのは、彼女にとって父の思い出がそれ自体逃げられない「死」の象徴だからです。

 

『イット・フォローズ』は寓話である。

『イット・フォローズ』を見た人の中にはラストがよくわからない、もしくは唐突に映画が終わったように見える人も多いと思います。

しかし町山さんは『スヌーピー』に例えに、『アメリカン・スリープ・オーバー』も『イット・フォローズ』も一種のファンタジーとして描かれていると分析しています。

ミッチェル監督が撮った二作品は、生きている人間なら誰もが抱える人生の不安についての哲学を映画にしたものなのです


これが正しい考察であることの裏付けとして、上記したインタビュー記事の中でミッチェル監督は60年代風の化粧コンパクトの形をした電子書籍をヤラが読んでいることに触れて、
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「60年代のデザインなのに、現代的な機能を持つもの。現実の世界が舞台ではないことを示す、ちょっとした手掛かりだ」

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と述べています。
やはり町山さんの言う通り、この『イット・フォローズ』の世界は、教訓を教えるための一種のたとえ話、つまり寓話であるということです。

 

 

 

町山智浩の評への補足。

上記が町山さんの『イット・フォローズ』評の簡単な説明ですが、ここからは町山さんが評の中で言わなかったいくつかの部分を補足したいと思います。
特に町山さんは映画『卒業』と『イット・フォローズ』との関係を指摘しましたが、より具体的に類似点を挙げていきます。

 

○映画『卒業』、そしてT・S・エリオットの詩との関係。

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上は映画『卒業』、下が『イットフォローズ』。
人生何をしたらいいかわからずボーっとプールに浮かんではただ流される若者たち。

 

『卒業』で主人公ベンジャミンは序盤に両親に対して「両親や、周りにいる大人たちとは違う人間になりたい」というようなことを言います。そして劇中何度もベンジャミンが自宅のプールに漂いながら物思いにふけるシーンが出てきます。親の決めたルールの中で生きてきた彼は、大人になっていこうとする中で、どんな人間になればいいかを決めることができず右往左往しているのです。
これは 『イット・フォローズ』の前半で主人公ジェイがプールに浮かび、静かに佇むシーンと非常によく似ています。ジェイは前半でヒューとセックスした後、車の中で自分のことについて次のように語るシーンがあります。
「子供のころは大好きな男の子と手をつないで歩けるようになるのが夢だった」「でも大人になった今、私はどこに行ったらいいの?」

そして『イット・フォローズ』の中盤に大学のシーンで朗読されるT・S・エリオットの『アルフレッド・プルーフ・ロックの恋歌』。
町山さんが言うように『恋歌』という詩が、『卒業』と『イット・フォローズ』の両方の映画に影響を与えていると思われます。

T・S・エリオットに関しての著作がある福岡大学教授の古賀元章さんが書いた論文の中で、『恋歌』に関する面白いものを見つけました。

 

『T.S.エリオットの初期の詩と母親』
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/16045/9_v.pdf

 

T・S・エリオットへのインタビューなどから考察するとアルフレッド・プルーフ・ロックは40代の中年男であり、T・S・エリオット自身でもあるとのこと。
T・S・エリオットはセントルイスにある清教徒の厳格な家庭で育ち、牧師だった祖父は様々な慈善活動を行いセントルイスに貢献した偉大な人物でした。
祖父の死後、エリオットの母親がその意思を引き継ぎ、祖父のような偉大な人間になるよう子供だったエリオットを厳しく教育しますが、エリオットにはそれが辛かったそうです。
エリオットはその後文学の勉強のためフランスへ留学しますが、これは家族から逃げ出すためという理由もあったそうです。
『恋歌』の中にはこういう一説が出てきます。


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おれはもう、あの眼を知っている、みんなすっかり知っている。
君たちを公式的なきまり文句にはめこむ眼、
そしれおれが公式的なきまり文句で、腹這いに、ピンで刺されたとき
ピンで壁に刺されて、もがきまわるとき、

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古賀さんによれば「公式的なきまり文句にはめこむあの眼」とは、T・S・エリオットが疎ましく感じていた家族の視線でもあるそうです。
このあたりは映画『卒業』で、親(大人)たちの敷いたレールから外れた生き方をしたいベンジャミンの苦悩とも重なってきます。

さらに『恋歌』の最後の一説にも意味があります

 

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おれたちは、海の部屋で時間を過ごした。
赤や茶の海藻を花輪のようにまとった海の魔女たちのそばをうろついた、人間の声が
おれたちをよびさますまで。
そしておれたちは溺れる

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これはエリオットが好きだったという故郷セントルイスに見えるミシシッピ川の風景を連想させます。「よびさますまで」「溺れる」とは母から逃げ出したエリオットの中にある故郷への罪悪感や、そこに引き寄せられるような気持ちを表現しているのではと古賀さんは、分析されています。
詩の中でプルーフロックは女性たちとの恋に飛び込まず、「海の部屋」で時間を過ごします。「海の部屋」とは恐らく彼の心の中であり、彼が自分の心の殻に閉じこもっていることを表現しているのです。

それを考えると、『卒業』、『イット・フォローズ』に出てくるプールもまた主人公たちの心の世界を表現しているのではないでしょうか。

『卒業』の中でベンジャミンがプールの底でジッと動かないシーンが出てきますが、これは人生に飛び出せないプルーフロックが「海の部屋」で時間を過ごす部分と非常に近いです。
ベンジャミンも『イット・フォローズ』のジェイも、時には水面を漂い、時にはただ流され、時には沈んだまま浮かび上がろうとしません。
彼らもプルーフロックのように自分の殻に閉じこもっているのです。

おそらく『イット・フォローズ』のクライマックス、「それ」との戦いの中でジェイがプールの底から死に物狂いで浮かび上がろうとするシーンには、彼女が自身の心の殻を破るという意味が込められています。

 

さらに詩の中に、「俺はハムレットではない」と語る部分があります。
「お付きの貴族、いやピエロ(道化)に過ぎない」とプルーフロックが自分を卑下します。
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まったく手軽な道具、
うやうやしく、役に立てば喜び、
術策にたけ、用心深く、小心よくよく、
大言壮語のわりには、ちょっと頭の巡りがにぶい、
ときにはまったく物笑いの種になり、
ときには、ほとんど《道化もの》

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という一説が出てきます。

映画『卒業』の序盤にも意味深にピエロの絵が映る場面がありますが、これは親とか大人の言いなりになって、ただ流されて生きるベンジャミンが自分のことをピエロのような笑いものだと考えているということを表現しています。
これもおそらく『恋歌』からの影響と考えることができます。

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『卒業』の序盤で意味深に映るピエロの絵。主人公の現在の状況を暗示している。

 

 

○ドストエフスキーの『白痴』

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映画の序盤、自分でもよくわからない不安を感じているジェイ。ここから彼女を「それ」が追いかけてくようになる。

 

映画のラストでヤラが朗読するドストエフスキーの『白痴』。
町山さんは『白痴』の主人公ムイシュキンが、ジェイを好きな男の子ポールのキャラクターに影響を与えていることを指摘しました。
そして実際に『白痴』を読んでみるとムイシュキンだけでなく、彼を翻弄するヒロインのナスターシャも『イット・フォローズ』のジェイのキャラクターに影響を与えていることが分かります。

『白痴』という物語は、子供のように無垢な心を持つ善人のムイシュキンが生まれて初めて訪れた都会で、誰も信じることができない女性ナスターシャと、荒々しい男らしさでもって力づくで彼女を手に入れようとするロゴージンに出会い、三角関係になるという物語です。

幼いころ孤児だったナスターシャは金持ちの男に拾われ、そこの家で性的な虐待を受けます。そのことで人というものが信じられなくなったナスターシャは自己破滅的な行動を取るようになるのです。
彼女は純粋な善意を持つムイシュキンに出会い、生まれて初めて恋に落ちますが、不幸な身の上で生きてきた彼女はそのことで逆にどうしたら良いのかわからなくなり、ムイシュキンとロゴージンという二人の男の間を行ったり来たりします。
 

『イット・フォローズ』の中で、主人公ジェイは昔から幼馴染のポールと互いに好意を持ちあっていたのに、彼女は男らしい魅力を持っているグレッグと付き合って、彼と先にセックスしてしまいます。真剣な恋愛、真剣な人生が怖くてその中に入っていけないジェイが二人の男の間をフラフラするところは『白痴』のナスターシャに通じるところです。(そうなるとグレッグのキャラクターはロゴージンということになります)

 

 

○次々に姿を変える「それ」
ずっと主人公を追いかけてくる「それ」はまず最初に全裸の女性の姿で登場します。
次に現れるのは学校で病院服を着た老婆の姿をしています。
その後ずぶ濡れになった女性、グレッグとその母親。そして最後はジェイの死んだ父親と現れるたびにその姿を変えていきます。
病院服を着た老婆に関しては明らかに病院で死んだ人間を連想させますし、全裸だったりずぶ濡れだったりする女性も変死体のイメージを僕は感じました。何にせよ「死」をイメージさせる姿であり、ジェイの中にある「死」の記憶なのかもしれません。特に死んだ父親の姿をして現れるのは実に象徴的だと思います。

 

○プールでの決戦前に入るヤラのセリフの意味
終盤に街の中の学校のプールに忍び込んでそこで「それ」と対決するシーンがありますが、その直前プールに向かう道中でヤラが吐くセリフがあります。

「子供のころはパパとママから色んなことを禁止されたわ。「街のここから先には行っちゃいけない」とも言われたけど、今思えばあそこは郊外と街との境界だったのね」

この映画はデトロイトで撮影されていて、劇中何度も経済破たんした現在の街の状況が映されます。廃墟になった家々、そして建物。当然現在のデトロイトは治安も悪化しているそうです。
アメリカでは街の中心部になるほどスラム化している場合が多く、逆に郊外に行くほど裕福な住宅街が広がっているのが常識です。
ヤラの両親が子供を危ない目に合わせないように「ここから先には行っちゃいけない」と言ったことを語るシーンですが、これにはもう一つ深い意味があるように思えます。

今、彼女たちは子供のころ親から禁止されていた街の中に自ら踏み込んでいきます。それは親の庇護から離れ、自ら危険の中に飛び込んでいくことを意味しています。
親離れ、独り立ち、呼び方は何でもいいですが両親のいる安全な世界を離れ、不安と危険の待つ現実の世界に一人飛び込んでいくのは誰でも必ず経験しなくてはならないことです。それはつまり成長であり、通過儀礼であり、大人への第一歩でもあるのです。

「それ」と戦うために、街と郊外の境界を越えていくというのは主人公達が子供と大人の境界を越えていくことなのです。

 

 

○グレッグのもとに「それ」がなかなか現れない理由。

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劇中とんでもない死に方をするキャラ、グレッグ。良いやつなんだけどチャラ男。


「それ」とは逃げることができない「死」の象徴だというお話をしましたがそれに関連する話が一つあります。

中盤にジェイはグレッグとセックスすることで「それ」を彼に移します。グレッグは「それ」の存在を信じていないので少しも恐れていませんでした。
なぜかそれからしばらくの間「それ」はグレッグの前に姿を現しません。これもこの映画の謎の部分です。
グレッグはジェイに会おうと彼女の家を訪ねますが塞ぎ込んでいるジェイは会ってくれず、門前払いを食らってしまいます。

すると再び「それ」が現れ、グレッグを殺してしまうのです。

これはいろいろ解釈が分かれそうな部分ですが、僕はこう解釈しています。
グレッグは「人は必ず年を取って死んでいく」という意識をまだ持っていませんでした。彼はそういうことを意識しない若者で、精神的にもまだまだ大人ではないのです。だから「それ」は現れません。
しかしジェイに対して恋心を持ち、その後彼女から拒絶されていることに気づいたことで彼は初めて恐怖というものを感じたのではないでしょうか? だから「それ」が現れるようになったのです。

最初の失恋は大きな絶望を伴います。
恋愛は人生で何度もできるものだということがわからない子供のころは、最初の失恋でまるで人生一回きりしかないものを失ったような気持ちになるのです。「もう二度と俺は好きな人から愛してもらえないんだ」という感じです。そのとき自分では気づかないものですが、人は「終わり」を意識するようになります。
初めて失恋をした時に深く傷ついて塞ぎ込んでしまうのは「このまま死んでいくんだ」という気持ちが心のどこかにあるためだと思います。

 

 

 

  『IT』(死)は必ず追いかけてくる。

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 だからこそ、ドストエフスキーだ。「人間は永遠には生きられない」。劇中に彼の小説を登場させたことについて、ミッチェルはそう語る。

「セックスや愛は、死への恐怖にのみ込まれないための方法だ。セックスや愛を通じて、人生には限りがあるという現実に折り合いをつけられる。映画の登場人物はおそらくそれに気付き始めたところだし、すべての人がその事実の中で生きている」

(ディビッド・ロバート・ミッチェル監督へのインタビュー記事より引用)
恐怖の「それ」がえぐり出す人生の真実 | カルチャー&ライフ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

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スティーブン・キングの作品にそのものずばり『IT』という作品があります。僕はまだ見れてないのですが、僕は『イットフォローズ』を見たときにこの『IT』のあらすじを思い出しました。
子供のころペニーワイズと呼ばれるピエロ(IT)からトラウマを受けた7人の男女が、ある殺人事件が起きたことをきっかけにそのピエロ(トラウマ、IT)と立ち向かうことになるというのが『IT』のストーリーです。

ちゃんと見てないので詳しいことはわかりませんが(近いうち見ます。すいません)、この作品の中で「IT」と呼ばれるペニーワイズという名のピエロとは子供時代のトラウマ、つまり子供が幼いころ初めて知った「死」の感覚、その恐怖の象徴として描かれているそうです。主人公たちはそれを知ったことで大人へと成長しましたが、その後もずっとその恐怖を引きずって生きているのです。

『イット・フォローズ』は子供達が主役の子供達だけのドラマで、主人公たちは大人への過渡期に突然「それ」というものがみえるようになります。
ジェイは「それ」に追われる恐怖からなんとか逃れようと誰彼構わずセックスして「それ」を他人に移そうとしますが恐怖からは逃げられません。
しかしジェイを心配するポールが「僕はいいよ」と申し出てきても、彼女は決して手を出そうとしません。
これは『白痴』の中で、自滅的な生き方をするナスターシャが何かを恐れるあまり、彼女に尽くそうとするムイシュキンから逃げ回るのと心理的にはほとんど同じです。

ジェイを追いかけてくる「それ」とは、成長すれば誰でも知ることになる「人間(私)はいつか必ず死ぬ」という実感のことです。
言い方を変えると「始まりがあって終わりがある一回きりの人生」ということです。だからこそ「それ」と向き合って真剣に生きる、それこそが大人になっていくことなのですが、それは勇気のいる難しいことなのです。

映画の終盤に「それ」を銃で撃ち倒すことに成功します。ですが中盤の展開で銃で撃とうが関係なく追いかけてくることは証明されているので意味はありません。
しかしラストでジェイはずっと好きだったポールと向き合うことを決意して、彼とセックスして結ばれます。

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彼女の心の世界を表現しているプールを血が満たしていく。
「それ」への不安からは逃げられない、誰の元にもいつかはやってくるから。

 

  『イット・フォローズ』のラストは、ジェイとポールが手を繋いでともに歩いていく姿です。そしてその後ろには「それ」が付いてきています。
しかし手を繋いで共に歩く二人からは遠く離れているように見えます。


「セックスや愛は、死への恐怖にのみ込まれないための方法だ。セックスや愛を通じて、人生には限りがあるという現実に折り合いをつけられる」
と監督はインタビューに答えていますが、これがあのラストシーンの意味のようです。

二人は大人になることから逃げず、自分の本心に向き合い真剣な恋愛をすることで共に人生の道を歩いていきます。ですが傍には依然「死」の恐怖が付きまとっているのです。


これは『卒業』のラストで主人公ベンジャミンがヒロインのエレインを連れてバスで走り去っていくシーンを連想させます。
ベンジャミンとエレインは自分たちを縛り付ける親からの逃避行に成功しますが、笑顔だった顔は次第に不安そうな表情へと変わり、そこで映画は幕を下ろします。二人は困難の末に結ばれましたがそれでも尚、苦難の「人生」は二人の前に立ちはだかっているのです。

子供のころ親に守られて安全に暮らし、世界の事も、善も悪も何も知らないうちは「それ」は遥か遠いところにいて見えることはありません。最初「それ」が見えなかったグレッグのように。
しかし成長してセックスや愛を知り、そしてそれらにも終わりがあるのだとわかってきた時に、追いかけてくる「それ」が見えるようになるのです。
しかしそのことを自覚したうえで愛する人と「それ」への恐怖を分かち合い、本当の愛を育んでいくことができるのなら「それ」の恐怖を再び遠ざけることができるのです。
(ですがいずれにせよ、人は年を取っていき、いつかは必ず「それ」に捕まってしまいます。)

とはいえリアルに生きている怪物が「死の恐怖」や「人生」云々などの都合で人を襲うなんていうのは変な話です。

そうなるとやはり『イットフォローズ』の「それ」とは怪物でも幽霊でもないし、この物語も現実を舞台にしたドラマではありません。
これは大人になるために必ず受ける通過儀礼をメタファーにしてホラー映画として描いた作品なのです。

大人になるための通過儀礼とは何度も言ってきたように「生きている限り死への不安からは逃げられない」という恐怖と戦うことであり、そのために人を愛したりセックスすることから逃げないこと。

『イット・フォローズ』は、「一回きりの人生」という恐怖に負けることなくひたむきに生きよ、というメッセージを描いた寓話なのです。

 

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『イットフォローズ』のラストに恐らくは影響を与えている『卒業』のカット。表情に注目。
愛する人と共に生きる幸せ、でも未来への不安は付きまとう、でも生きてはいける、希望と不安、それが人生。

 

 

 

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 キャラを紹介する序盤こそ退屈だがそこが終わってからはひたすら人間関係の修羅場が連発する息もつかせぬ小説。長いが読み応えがあった。

 

世界の詩集〈15〉エリオット詩集 (1973年)

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 『アルフレッド・プルーフ・ロックの恋歌』はこの本の最初に収録されている。