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不死身の漢!

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本当に『MGS5』は悪に墜ちたのか? 序章 「本当にダイヤモンド・ドックズは悪に墜ちたのか?」(メタルギアソリッド5:ファントムペイン考察)

メタルギアソリッド

 *この記事には『メタルギアソリッド5:ファントムペイン』のネタバレが含まれています。*

 

次回⇒本当に『MGS5』は悪に墜ちたのか? 第1章 ビックボスと『失楽園』

 

 『MGS5』の残した”幻肢痛”

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 『メタルギアソリッド5:ファントムペイン』の発売から1年が経ちました。


 そんな中MGS関連の掲示板を見ていたら「結局『MGS5』が何だったのかよく分からない」という書き込みが。

 今回の『MGS5』はプロモーションが始まったころから『悪に墜ちる』というテーマを大々的に掲げて、ビックボスとその仲間たちが悪に染まっていく姿が描かれると言われていました。昔からのMGSファンは当然ハードなストーリーになると予想します。

「とうとう初代『メタルギア』に話が繋がるのか・・・」

 こうして期待値はどんどん上がっていき、とうとう『MGS5』は発売されます。
しかし実際にプレイするとその内容は、ダイヤモンド・ドックズは最後まで正義の味方として行動していて、一番の悪役は裏切り者のヒューイという展開になり ビックボスは影武者で本物ではなかったという真相が明かされ、終わり・・・。

 発売直後、ネット上では「よくわからない」「これがどうやったらあのアウターヘブン(1作目の敵)になるんだよ」「悪に墜ちたのはヒューイだけ」という感想が後を絶ちませんでした。
 少なくとも『MGS5』の表面的なシーンには、ダイヤモンド・ドックズが悪に墜ちたことをプレイヤーが確信できるようなシーンは存在しなかったからです。

 さらにストーリーの目的である「復讐」そのものは第1章で達成されてしまい、この時点でストーリーは終了しているわけですが、第1章の終了後、突然第2章の予告が始まります。「さらに新しいストーリーが始まるのか!」と期待し、喜んだプレイヤーは多かったはずです。

 しかしその第2章はクワイエットの離脱と、ヒューイの追放、そしてエンディングという内容であり、そのあまりの短さ、終わりの唐突さに多くのファンが失望しました。
 amazonのレビューはそんなプレイヤーの断末魔で一時期埋め尽くされました。

 その結果『MGS5』は未完成ではないか?という説が巷に流れるようになります。

 噂が流れた最大の理由は、第2章のあまりの短さと、焼き増しのようなエクストリームミッション(既にあるミッションの難易度を上げただけのもの)、さらに特典ブルーレイで見ることのできる未収録エピソード『蠅の王』の存在があったことです。
 そしてビックボス達が結局最後まで悪に墜ちないことから、「これでは初代『メタルギア』に繋がらない」、「実は続きがあったのでは」と言われるようになります。

 そこにファンが独自に『MGS5』のデータを解析した結果、「第5章までの未使用データが見つかった」という真偽不明の情報が飛び出し、それが昨今のコナミと小島監督の退社をめぐる騒動と結びつき、「本当はもっと長かったはずのストーリーを無理に打ち切られたんだ」という話にまでなっていきました。

今でも「MGS5未完成説」はファンの間で語られ続けています。

僕は未完成かどうかに関しては確かなことが何もわからないので何とも言えませんが、初期の構想ではもっと多くの要素があったのでは無いか?という気はします。

結局『MGS5』とは何だったのか?

 『MGS5』の表面上のストーリーを単純に追っていくと以下のようになります。

〇国境なき軍隊がヒューイの裏切りによりスカルフェイスの部隊に襲撃され壊滅する。

〇彼らはダイヤモンド・ドックズとして生まれ変わりスカルフェイスとサイファーに対
 する復讐を決意する。

〇スカルフェイスを追うビックボス達。アフガン、アフリカへと追いかけるうち、次第
 にスカルフェイスによる数々の残虐行為と、声帯虫による民族浄化計画が明らかにな
 る。

〇復讐ではあるものの、ビックボス達は人としての尊厳を失わず仲間と世界のために戦
 う。クワイエットがDDに連れ込まれるが、カズは強硬に反対。
 ヒューイをアフガンで発見。尋問の結果ヒューイは裏切りを否定する。

〇スカルフェイスの計画がついに始動するが、サヘラントロプスの暴走によってスカル
 フェイスの計画はとん挫。死にかけのスカルフェイスに止めが刺される。

〇第2章開始。カズが仲間の中にいるスパイを見つけろと演説。カズはヒューイとクワ
 イエットに疑いをかける。クワイエットは自らDDを離脱。

〇声帯虫によるパンデミックが発生。大量の仲間が犠牲になる。カズは犯人をヒューイ
 と断定。ダイヤモンド・ドックズ全隊員を前にヒューイに対する裁判が開かれる。

〇スカルフェイスへの協力、声帯虫による虐殺、ストレンジ・ラブ殺害などが明らかに
 なるがヒューイは否認、DD内の圧倒的多数の賛成によりヒューイの死刑が決まる
 が、ビックボスはヒューイを追放ですませることを決定する。

〇ビックボスの正体が実は影武者であったことが明らかになる。

 〇終わり

 以上が『MGS5』の簡単な流れです。

そこで疑問なのは・・・・一体この話はどういうストーリーなのか?

 ダイヤモンド・ドックズは残酷非道なサイファーに対し、人道的な方法で戦いを挑んで勝利し、懐が深い彼らは卑劣な裏切りもので死んで当然のヒューイを殺さずに解放して、ダイヤモンド・ドックズは偏見も人種差別もない誰でも受け入れる立派な軍隊になったのでした。めでたしめでたし・・・と、これはそういう話なのでしょうか?

 だとしたら何でそんな組織がアウターヘブンになってしまうのか?

そもそも「伝説の英雄がなぜ悪に墜ちたのか?」が描かれるはずではなかったのか?

 同様にテーマに関しても不可解です。もちろん題材はわかります。小島監督は発売前のインタビューで本作のテーマが「人種」と「報復」だと語っていました。

「報復」に「人種」に「民族」に「言語」、これら単語が作品中に何度も繰り返されますので確かにモチーフはハッキリしているわけです。

 しかしこれらはあくまでもモチーフ(題材)であり、それを使ってどうしたいか?何を描きたいのか?という本当の意味でのテーマについては触れていません。(テーマとモチーフは混合されやすいが違うものです)

 小島監督は「人種」と「報復」という題材で一体何をしたかったのか?

 『MGS3』では、東西冷戦を題材にビックボスとザ・ボスの戦いを描き、その戦いを通じて親しかった者達が政治の都合で分断、対立するという悲劇をテーマにしました。 何をしたかったのか、何を伝えたいのかがはっきりしているため、『MGS3』で誰も”幻肢痛”など感じませんでした。
 では『MGS5』では、ビックボスとスカルフェイスの戦いを通じて何が言いたかったのか?

プレイ後に多くの人が
【超悲報】俺、未だに「メタルギアソリッドV」の幻肢痛が消えない… : PS4速報!
のような”幻肢痛”を味わっている最大の理由は『MGS5』で描かれる戦いの意味、ストーリーの意味がさっぱり分からないからです。
 しかもその戦いが終わった後に第2章なんておまけがついていて、それがヒューイに対する魔女狩りもどきの裁判をやって終わりっ!というあまりにも胸糞が悪い結末なため、ネット上では同調した人たちによる過剰なヒューイ叩きと、本当にヒューイが犯人だったのかわからない」という人たちによる幻肢痛までついてくることになったのです。(ヒューイの幻肢痛に関しては半分くらい俺が考察で煽ったせいですが・・・)

一体僕たちはこのストーリーをどう見て、どう感じればいいのか?

ちなみに小島監督自身はツイッターでこう発言しています。

 運命に縛られたスネークを解放とはつまり、「もうそろそろ「メタルギア」シリーズは終わらせて良いだろう」で、自らバトンを受け継ぐとは「ビックボス達のその後に関してはプレイヤー自身が想像してくれ」ということだと思います(笑)

 以前から監督は「『メタルギア』だけの男とは言われたくない」、「新作を作りたい」と言っていましたしね。

 

小島監督が描きたかったテーマとは?

確かに『MGS5』はストーリー上に多くの問題を抱えていて、中には未完成だと疑われるのも仕方のない箇所があります。

 ですが「悪に墜ちる」というテーマの部分に関してはいえば、間違いなく全体を通して一貫して強くそれが描かれているよう僕は感じました。しかもそこに小島監督の非常に個人的な投影まで感じるほどです。ただそれが非常に難解なのです。

 「ビックボスが全然悪に墜ちない」という問題に関して、僕は以前こういう記事を投稿しています。

 正直今見ると結構恥ずかしい記事です。

 特にコナミに関する部分は全体主義がどうのと書いてるわりにはコナミ憎悪を煽ってる感じだし、あまり大げさに書くのは下品だったように感じます。万が一コナミ社員の人が目にして不快に感じたなら申し訳ないです。

 しかしこの中でおこなった「実はダイヤモンド・ドックズは悪に墜ちている」「唐突に終わる第二章の存在がが非常に重要である」という考察、そして「ビッグボスと彼が率いるダイヤモンド・ドックズが全体主義化している、その象徴がヒューイの場面である」という結論に関して僕は確信を持っています。

 前回はそれを『1984年』との類似点を説明していくことで証明しようとしました。
しかしそれ以外にも『MGS5』の背景を考える上で、絶対に無視できない文学はいくつもあるのです。(ちなみに去年この記事を書いてからすぐに続きを書こうと思っていましたが、その間にいろんなことにかまけてしまい(映画とかゲームとか)、ずっと書きそびれてしまいました。)

 まず『メタルギア』シリーズが全体を通じてモチーフにしている文学。それは17世紀の詩人ジョン・ミルトンが書いた『失楽園』です。
 聖書の創世記を元に書かれたこの物語は、神から天国を追放された魔王サタンが地獄において軍団を作り上げ、人間であるアダムとエヴァの住む楽園を破壊しようとする壮大な叙事詩です。
 『メタルギア』は87年発売の一作目のころから、この物語に強い影響をうけてストーリが作られていました。
 それはシリーズ全体を通じて貫かれ、特にビックボスの過去が描かれる『メタルギアソリッド ピースウォーカー』と『メタルギアソリッド5 ファントムペイン』においては小島監督自身は公言していないものの明らかに失楽園と、その元になった聖書から多くの引用がされています。

 さらに小島監督は今回参考にした作品として『1984年』『白鯨』『蠅の王』を挙げています。そして実際にゲームをやると『1984年』と『白鯨』からの引用が多いことが分かります。
 『白鯨』に関しては主人公スネークが最初に名乗る名前がエイハブ、登場するヘリコプターのコールサインがピークォド。エイハブ船長のようにそれぞれ手と足を失うスネークとカズ。『白鯨』の主軸がエイハブの白鯨に対する復讐劇にあるように、スネークたちの「復讐」がメインのストーリー。
 そして『蠅の王』のストーリーそのままのイーライ。
 あと『1984年』からの影響に関してはこちらで触れました。

 『MGS5』のストーリーに一体何の関係があって、これらの小説が引用されているのか?

 小島監督が適当に好きな小説を引っ張ってきたから・・・ではありません。

 『失楽園』、『1984年』、『白鯨』、『蠅の王』。これらを続けて読んでみると、そこには一つの”共通した思想”があることに気づきます。

 これらの作品の共通点は

「全体主義に向かっていく人々とその破滅を描いた物語」だということです。

 そしてそれこそ『MGSPW』と『MGS5』で小島監督がやりたかったことではないでしょうか。

  それはもちろん前回の記事で書いたように、ヒューイに関する部分で描かれる明らかに全体主義的なダイヤモンド・ドックズの描写や『1984年』との類似性ということもありますが、ですがそれだけでなくそれ以外の部分でも本作にはビックボスとダイヤモンド・ドックズが危険な集団になっていくことを示唆している箇所がいくつもあるのです。

  『1984年』『動物農場』の著者ジョージ・オーウェルには一貫した思想があり、それは「どれだけ理想的な革命も権力と共に堕落する」というものでした。

 

『MGS5』は

・ジョージ・オーウェルの世界を入れ込み、

・キリスト教的な神話の世界を入れ込み

・『白鯨』と『蠅の王』などを入れ込み

・2000年代以降の日本の現状を入れ込み、

・小島秀夫監督本人の人生まで入れ込んだ

 

そしてこれらがバラバラにではなく、「堕落」「全体主義」といった言葉に集約されているように思えます。

 もちろんこれだけでは何のことかさっぱりわからないでしょう。というわけで発売から1年経ってなんとなくキリも良いということで、今回は『MGS5:TPP』をできるかぎり分析していきます。
 『MGS5』やこれまでのシリーズに引用された様々な小説、音楽を考察することで、「本当にダイヤモンド・ドックズは悪に墜ちたのか?」という謎を明確にしたいと思います。
 まずはこのゲームの背景にある聖書からの引用の読み解きから始め、『白鯨』や『蠅の王』からの引用などのよく分からないを部分を数回の記事に分けて考察していきます。

考察するの主に以下の部分です。

〇『MGS5』の抱える問題点。

〇『メタルギア』シリーズの宗教的引用、聖書と『失楽園』との関連性。

〇ビックボスと魔王サタンの共通点

〇『here's to you』がなぜ『グラウンド・ゼロズ』で流れるのか?

〇なぜデビッド・ボウイの『世界を売った男』が流れるのか?

〇『白鯨』、『蠅の王』がなぜ引用されるのか?

〇ジョージ・オーウェルと『1984年』の世界 

〇小島秀夫監督自身の投影

 

 この考察によって『MGS5』の幻肢痛から解放される人たちがいれば良いのですが。

 

考察に入る前に:小島監督の知識量(オタク度)

 『メタルギア』考察に入る前にどうしても言っておかないといけないのは、小島秀夫という人にはものすごい知識量があるということです。とにかくこれをまず最初に言っておかないと、「それ深読みだろ」とか「小島秀夫はそこまで考えてないよ」と思われるかもしれません。

 小島秀夫は子供のころから大量に映画を見続け、小説も大量に読んで、音楽もいっぱい聞いて、歴史や政治にも詳しいという幅広い教養を持っています。もちろん芸術にかかわる人間にはそういう人はいくらでもいるわけですが、小島監督の場合、それは勉強というよりはオタクであることが理由だと思います。

僕の体の70%は映画でできている―小島秀夫を創った映画群

僕の体の70%は映画でできている―小島秀夫を創った映画群

 

 

僕が愛したMEME(ミーム)たち いま必要なのは、人にエネルギーを与える物語(ミーム) (ダ・ヴィンチブックス)
 

  こちらは2冊とも小島監督がおすすめ映画、小説を紹介している本ですが、これらを見ると小島監督の教養がどの位かわかると思います。

 

 小島監督はオタク第二世代(いわゆるヤマト世代)のハードコアなオタク。

 

 オタク第三・四世代のライトなオタク層である人達(つまり僕だが)には分かりづらいかもしれませんが、彼らは社会的な問題意識も高く、オタク知識で理論武装し、漫画やアニメの中で積極的に文学や哲学を語ろうとする感じの人たち。
 庵野秀明さん、岡田斗司夫さん(この人は第一世代)、町山智浩さんなどを知ってる人ならそのハードコアぶりが想像できるでしょう。
 海外では同じ世代にタランティーノがいますが、こちらはもはや神の領域に突入。(日本人オタクでさえ見てないような大昔の日本映画を大量に見てるんだぜ)

 彼らはただ作品を見るだけではなく、設定資料などの関連商品を買いこむなどしてはその作品の裏話、背景なども徹底的に調べ上げて、己のオタク知識の一部にしてしまいます。自分の好きなアニメや漫画に関係していることがわかると、どんな難しい分厚い本でも熟読しまうような人たちです。

 しかもそういう人たちがひとたび作り手に回れば、それまで蓄えたオタク知識を一気に吐き出し、作品の中が膨大な長台詞と引用で埋め尽くされることになるのです。

彼らの作る作品を見てるとたまに「これただ(オタクな)知識をひけらかしたいだけじゃねえの・・・」という気持ちになりますが、おそらく半分(以上?)はその通りです。

 彼らの見てきた大量な数の作品や、自身の作品に入れる引用の膨大な数は、ライトなオタク層の僕らからは想像もできないほどなのです・・・。

 ちなみに小島監督はどれだけ忙しい状態でも、毎年必ず映画のベスト10とその年見た映画の本数を公開しています。(映画秘法にも寄稿)この辺にハードコアオタクのプライドを感じます。

 

『MGS5』考察シリーズ一覧

本当にヒューイは裏切者だったのか?『MGS5』と『1984年』 前編 

ヒューイは本当に無実なのか?『MGS5』と『1984年』 後編 

本当に『MGS5』は悪に墜ちたのか? 序章 「本当にダイヤモンド・ドックズは悪に墜ちたのか?」

本当に『MGS5』は悪に墜ちたのか? 第1章 ビックボスと『失楽園』

本当に『MGS5』は悪に墜ちたのか?番外編 サタンをモデルにしたキャラクター達。